2013年1月17日木曜日

地震のこと


ずっと近畿に住んでいる僕にとって直接体験した大きな地震というと阪神・淡路大震災が鮮烈に思い出されます。
今日、1月17日であれからもう18年ですか…。



当時、僕は京都造形芸大の学生でした。
1995年のこの日の朝方、枚方市にあった家で寝ていたところとんでもない大揺れで飛び起きました。
幸い家の周辺地域は大きな被害はありませんでしたがそれでも家の中は家具が倒れたりズレたりかなり大きな揺れでした。
その日は午前中から講義があったので多少家のなかを片付けてから学校に行きましたが当時のクラスメイトや先輩、後輩のうち神戸や西宮に家のある人は甚大な被害に見まわれた様子で、その日は「大変な事になった」と学校全体で講義どころでは無かったと記憶しています。

それから明けて翌月くらいでしょうか、
建築関係者は震災地での調査や再建などに関してボランテイア作業の需要がたくさんあり、僕も建築を学ぶ学生の一人として被災地調査のお手伝いに参加しました。
実際に現地を歩いてみると見知った神戸の街が本当にボロボロになっていて、人の力では抗えない自然の脅威にただただ驚愕するばかりで本当に被災された方々のお役に立てたかどうか…。
実際に倒壊したたくさんの建物を目の当たりにした衝撃は今でも強く心の奥底に沈殿しています。

ご存知のように日本は昔から幾多の地震に襲われてきたため建築設計上の耐震のノウハウはたくさん蓄積されています。
ですので現在公的に設定されている基準に沿った強度を保つように設計していれば阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災クラスの地震が来ても建築物自体の倒壊によって人の命が失われるという心配はあまりしすぎなくても良いのです。
ただ、その後に起こる津波や地すべり、火事によってケガをされたり亡くなられる被害は、建物の立地そのものや住まい手さんの防災意識に因るところも大きく設計者の技術だけではどうにもならないのが実状です。

そして、最近よく耐震・免震といった技術を謳った住宅を見るたび、「この家に住んでいれば大きな地震が来ても大丈夫」と住まい手さんを安心させてしまうのはかえって防災意識を薄くしてしまう一面があるのではないかと思えるのです。

 家づくりに関わる者として、むしろそういった技術的・性能的なことを謳い文句にして住宅にとって過剰なスペックを追求していくよりも、感性に訴えかける「永く愛することのできる家」、そしてその延長上で普段から住まい手さんが防災意識を持ってメンテナンスや災害時の対策にかける手間を厭わない「日々かわいがることのできる家」をつくっていくことも結果的に「そこに住む人の命をまもる家」となり得ると考えます。
そしてそれこそが我々のような設計人に与えられた大事な役目のひとつだと改めて思い返した日でした。

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